事始め・2
さて正月もそろそろ終わりです。
昨年は臭いところで話が終わりました、まァ匂いはついて回りますが・・。
先の戦争が終わって世界各地からの復員兵、引揚げ者があふれる焼け跡だらけの日本は食糧不足に製われて大慌てで食糧増産に拍車がかかりました。
尤も戦争中から食糧増産は国是でしたが急速な人口増加は更に食糧難を招き栄養失調で亡くなる人や病人も増加しました。
深刻な肥料不足で屎尿の需要も増加したようですが、充分な分解発酵に時間を掛けられず寄生虫が発生してオイラも勿論駆虫剤のサントニン、海人草等を学校でもしばしば飲用させられました。
栄養も足りず液状や錠剤、ゼリー状の肝油等を飲まされたのも覚えています。
アメリカの食糧援助でララ物資とかMSA物資などと言うもので辛うじて栄養をとっていました。
暫くすると化学肥料が生産されて屎尿の肥料としての重要性は無くなり化学肥料、農薬が全盛の時代が続きました。
あまった屎尿は東京で言えば隅田川を当時は汚わい船と呼ばれる木造船で頻繁に運び東京湾の沖合いに投棄していましたが中には決められた地点まで運ばずに途中で投棄してしまう船がいたりして東京湾の汚染が進みました。
オイラの通った高校は足立区の綾瀬川の岸辺に有り毎日昼時になると決まって隣の船着場で陸上を運んできた屎尿を船に積み込む作業が始まり閉口したものでした。
隅田川のみならず流れ込む支流もまるでドブのように悪臭が充満してすさまじい状態でした。
化学肥料、農薬に依る弊害が問題になり始めたのはもっとかなりの年月が経ってからの事です。
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